山崎方代の作品といえば、一首目がすぐに浮かんでくる。「ぽつんと土を打つ音」から広がるのは、過去への時間。土音の重く鈍く、土の底に届くような響きが、過去の歳月を呼び起こす。その時のなかに、方代は入り込んでゆく。二首目、『右左口』が刊行された一九七四年頃は、今より町には街灯も遅くまで開いている店も少なかった。路地を入れば真っ暗で、暗闇が時間とともにさらに深く沈んでどこまでも広がり、地面も深い闇のなかだ。そこへ聞き耳を立ててると耳をどこに向けているのか、闇もまた聞き耳を立てているようで、地面にも耳があるような感覚に包まれる。方代は土を打つ音であり、闇の耳でもあり、そこから言葉を放っている。
　三首目には、夕焼けに染まる雲を背景に足袋を履いて歩いてゆく人がいる。歩く度に陽に反射する「こはぜ」が目に止まるとそこへ興味が向かい、方代には歩く人間も足袋を履いている足も見えない。「こはぜ」しか見えなくなる。そのため、「こはぜ」が動作をする主体となっている。
　四首目の「るり色」は、紫がかった青色。その色をもつ虫が冬間近に現れることを知っている。育った右左口村で見ていた虫なのか。虫の名前ではなく「るり色」が記憶に刻まれている。その色から冬の寒さを感じ取り、枯れ枝や落葉に見た虫を思い出す。さくさくと落葉を踏みしめながら枯色のなかに見た色は、「瑠璃色」の煌びやかさではなく、儚い秋から冬へと向かう季節のなかに見た鈍い冬の陽ざしに反射するひらがなの色。その色からうたい出している。
　五首目の「花のいのちは記憶にすぎぬ」とは、同歌集の「桑の実が赤く熟れいしことのみが記憶の中によみがえる」にある桑の実の赤い熟成だけが記憶の像で、それが方代にとり全てになるように、蛍袋の咲く姿は記憶され、同時にそれは花の「いのち」の形状でもある。だからそれも記憶の像であり、方代は他の像に並べる。そして記憶をひも解きながらうたう。
　方代の言葉の魅力は、一点へ向かう集中力から生まれ、そこへ移行する早業にある。読者はその時のなかにその空間に誘われ、ときに佇みつつ納得させられている。